LOVE概論

先日、上司が好きすぎる友達に「それってどの種類の好き?」と尋ねたら「本当の好き」という返事が返ってきました。彼女の意図では恋愛感情での好きだったのですが、わたしはそうではないものだと思い込んでいました。これは誰も間違っておらず人には人の超絶愛があるわけです。そこでわたしの「本当の好き」とは、好きなアイドルを登場させて話したいと思います。

 

そもそもわたしは恋愛感情を持たないことを自認しています。(しかし、それは今だけで他の可能性を秘めていることがあるためセクシュアリティを決めつけないようにしています)好きなアイドルをどうして好きかを考えると尊敬が必ず土台にあるのです。「恋愛対象として素敵だ」という感情がないからか人間性を詳しく知るまでSixTONESも美 少年も推しが決まるまでなかなか時間がかかりました。ジェシーも浮所くんも「タフネスでポジティブなただじゃ済まない人」という部分が共通しており、それが敬愛に繋がっている感覚があります。決め台詞や胸キュンシーンなどアイドルがシスヘテロである異性に向けた恋愛感情に適応できない分、前述した通りのホスピタリティ高すぎムーブを発見して大はしゃぎしています。

 

また、以前ロールモデルとして挙げた令和ロマン髙比良くるまに「もし結婚してください。と言われたら結婚という制度に不満を持ちつつ一緒にいたいからYESと言ってしまうと思う」というくるまにプロポーズされるという不思議なシチュエーションのツイートをしました。しかしこれは本意で心底腑に落ちる表現でした。

 

わたしの中での「本当の好き」とは、”一緒にいたい“なのだと思います。ミスチルの「身体でも心でもなく愛している」という歌詞が全てを言い尽くしている気がします。こんな神歌詞、一般教養で教えてくれよ。このように最大級の愛が恋愛感情かどうかなど人それぞれで素晴らしいことなのですが、決まってどちらかが最大級の愛であるという風潮は要らないですよね。そもそも生きてる価値なんて立場が違えどアイドルだとしてもそれ以外の人間でも同じですし、お金を体内に取り込んだしてもそれは変わりませんから。どんな愛し方が優位に立つとか無くみんな同じ価値だと認識する感覚を学ぶだけではなく当たり前に身につけたい所存です。

道徳の檻

アロマンティックだと自覚した以上ジャニーズを応援する上での居心地の悪さや溜まる言葉をしたためようと思いこれを書いています。全て私見なので同じ境遇の方全員がそうとは限らないことをご了承ください。

 

まず自認がアロマンティックに変化したときの話をします。私はオタクをする中で自身がアロマンティックであると後から自覚する出来事がありました。その当時私は正門さんのオタクで主演舞台を観に行ったのですがキスシーンを目の当たりにしても全く何も感じず、当然のように自分に恋愛感情があると思っていた私は本当は全然好きじゃなかったんだ…と思ってオタクを辞めてしまいました。その後自分の中にそれまで曖昧だった性についての知識や形容するための語彙が増えていくうちに、恋愛的な意味で好きな人が出来たことがないことや恋愛ドラマ・映画に対して嫌悪感を抱くことなど今までの違和感がようやくアロマンティック・アセクシュアルという言葉になりました。

 

ただ、恋愛感情を持たずジャニーズのオタクをすることは居心地の悪さや肩身の狭さが実際あります。私は高校生なのですが、恋愛に多感な時期の同級生には恋人がいないことを「◯◯はジェシーと結婚するもんね」と言われたりします。「熱愛が出たら悲しい」という言葉のようにアイドルを好きという気持ちに恋愛感情が含まれていると決めつける風潮があると感じるのです。そうなると私たちの存在や好きのあり方は無かったことにされているんじゃないかと悔しくなります。

また、私のように恋愛感情を持たない人間はアイドルたちの狙った受け止め方を出来ずにいることがあります。胸キュンセリフや恋愛ソングの消費の仕方に戸惑ったりもやもやしたり難しいなと思います。

 

しかし、それはオタクだけでしょうか。それはきっと違います。アイドルの中にもアロマンティックがいるだろうし、熱愛は出ないし恋人がいることもないのに「アイドルの熱愛が出る前にみんな恋人がいて当たり前だと思っておく」みたいな考え方をするのはその人たちの存在を無かったことにしているんじゃないかと思います。同性愛者もいるだろうしその中で異性愛を歌ったアイドルソングが王道とされたり、Jr.大賞において恋人にしたい部門があったり。また、セクハラ部門があることとかアイドルが性的に搾取されるような環境の居心地悪さやそれを個人の感情だけで消費される怖さもあるんじゃないかと思います。アイドルだからというだけの理由で脱がせているなら間違った価値観だと思います。性別関係なく苦しむ人はいるしそれは繊細とか感受性が豊かとかの問題ではなく、そこにあるアイドルの仕方ないという気持ちとか反対に異常だと思う自分の気持ちを自分で理解して整理できない人のことがとても心配になります。

 

これは全て社会の問題で、受け入れるとかの話ではないと思います。受け入れるも何もそこにあるものを認識するだけの話です。ジャニオタ2年目の高校生で正しいことを言えるほどの経験値はないかもしれませんが、間違いたくないと思っています。敬愛するアイドルは自分のファンのことをどんな風に捉えているんでしょうか。世間の風潮や性を越えて愛しています。

報復性純愛

わたしはアイドルが好きです。

わたしの中での「アイドル」とは、情報の断片を自分なりに繋ぎ合わせた自分だけの概念(≒都合の良い夢)で、人によって心象は様々だということを前提にアイドルの覚悟について話そうと思います。

 

 

残酷ながらアイドルの始まりに目指した場所と今居る場所は想像の範疇を越えるギャップがあるのだと思います。つまり、憧れで踏み込んだこの世界が気の狂った地獄だと確信した瞬間があったはずだということです。

「気の狂った地獄」というのは、①ステージに立つ・晒されること②厳しい芸能界③普通の生活なら経験しないほどの恥④自分を刺すオタク・世間の言葉⑤辛いことや不安をのみこんで笑顔でいること、など十字架のように背負わなければいけない環境のことです。(ジェシーの、雑誌での「地獄」という表現を借りています)

だからわたしはこれらを目の当たりにしても尚、人生の大切な時間・欲望を振り切って地獄に飛び込む覚悟を決めたアイドルの生き様に感動してしまうのです。

 

 

ただし、それに伴って好きな人間が多くの対価を払っているコンテンツの顧客であることには罪悪感が付き纏うしそうあるべきです。なので私たちは好きなアイドルに、アイドルになったから変わってしまった運命もアイドルになったからこそ変えられた運命も全て間違いのない今ここのしあわせに繋がっている、あなたの全ての覚悟のおかげだと解ることが地獄に対する報復だと思っています。

 

 

これらと併せてこれからは偶像崇拝と、好きなアイドルたちはただの人間だという記憶を叩き起こすことの両立を頑張りたいと思います。ただただアイドルが幸せになってほしい、そんなことを無責任に願うわたしをゆるしてほしいという一心で。