道徳の檻

アロマンティックだと自覚した以上ジャニーズを応援する上での居心地の悪さや溜まる言葉をしたためようと思いこれを書いています。全て私見なので同じ境遇の方全員がそうとは限らないことをご了承ください。

 

まず自認がアロマンティックに変化したときの話をします。私はオタクをする中で自身がアロマンティックであると後から自覚する出来事がありました。その当時私は正門さんのオタクで主演舞台を観に行ったのですがキスシーンを目の当たりにしても全く何も感じず、当然のように自分に恋愛感情があると思っていた私は本当は全然好きじゃなかったんだ…と思ってオタクを辞めてしまいました。その後自分の中にそれまで曖昧だった性についての知識や形容するための語彙が増えていくうちに、恋愛的な意味で好きな人が出来たことがないことや恋愛ドラマ・映画に対して嫌悪感を抱くことなど今までの違和感がようやくアロマンティック・アセクシュアルという言葉になりました。

 

ただ、恋愛感情を持たずジャニーズのオタクをすることは居心地の悪さや肩身の狭さが実際あります。私は高校生なのですが、恋愛に多感な時期の同級生には恋人がいないことを「◯◯はジェシーと結婚するもんね」と言われたりします。「熱愛が出たら悲しい」という言葉のようにアイドルを好きという気持ちに恋愛感情が含まれていると決めつける風潮があると感じるのです。そうなると私たちの存在や好きのあり方は無かったことにされているんじゃないかと悔しくなります。

また、私のように恋愛感情を持たない人間はアイドルたちの狙った受け止め方を出来ずにいることがあります。胸キュンセリフや恋愛ソングの消費の仕方に戸惑ったりもやもやしたり難しいなと思います。

 

しかし、それはオタクだけでしょうか。それはきっと違います。アイドルの中にもアロマンティックがいるだろうし、熱愛は出ないし恋人がいることもないのに「アイドルの熱愛が出る前にみんな恋人がいて当たり前だと思っておく」みたいな考え方をするのはその人たちの存在を無かったことにしているんじゃないかと思います。同性愛者もいるだろうしその中で異性愛を歌ったアイドルソングが王道とされたり、Jr.大賞において恋人にしたい部門があったり。また、セクハラ部門があることとかアイドルが性的に搾取されるような環境の居心地悪さやそれを個人の感情だけで消費される怖さもあるんじゃないかと思います。アイドルだからというだけの理由で脱がせているなら間違った価値観だと思います。性別関係なく苦しむ人はいるしそれは繊細とか感受性が豊かとかの問題ではなく、そこにあるアイドルの仕方ないという気持ちとか反対に異常だと思う自分の気持ちを自分で理解して整理できない人のことがとても心配になります。

 

これは全て社会の問題で、受け入れるとかの話ではないと思います。受け入れるも何もそこにあるものを認識するだけの話です。ジャニオタ2年目の高校生で正しいことを言えるほどの経験値はないかもしれませんが、間違いたくないと思っています。敬愛するアイドルは自分のファンのことをどんな風に捉えているんでしょうか。世間の風潮や性を越えて愛しています。